やすつんの闘病日記<10/23-29>


2000年10月23日
辛い  6日目の化学治療が開始。 今日から投与される薬が1種類になるので、 楽になるからVBのクラスについて勉強をしよう。
 いつも通り見舞いに来てくれた。
 入院前にしていた仕事の仕事先相手の方々が、見舞いに来た。 デジタル商品の雑誌と、釣りの雑誌をもらった。 さすがに私の好みを見抜いてる。


2000年10月24日
辛い  トイレでおしっこしていたら、突然クラッときた。 あわてて便座を下げ、座り込んだのですが、動悸がすごくこのまま 死んじゃうんじゃないかと思った。 赤血球が足りなくなっていたために、貧血をおこしたとのこと。 うわー、本当に怖い思いをした。
 7日目の化学治療が開始。 サンラビンの投与が今日でおしまい。 また、貧血を起こしたので、 血小板の他に赤血球の輸血をするようになった。
 母がいつも通り来てくれたが、 今日の貧血が怖かったため直ぐに切り上げてしまった。
 とうとう、輸血をした。 成分輸血で、まず、血小板をつぎに赤血球を輸血することになった。 これで献血できなくなった。 元から駄目と云われていたけどね。


2000年10月25日
辛い  久しぶりに元気。 この数日の溜まった日記を書くことにしよう。
 担当医から病状の説明を受けた後、母と叔母が見舞いに来てくれた。 何の説明だったのだろうか?
 赤血球の輸血をした。 これをすると元気になる。 赤血球のヘモグロビンが酸素を運ぶ役割をしているため 脳とかに酸素が運ばれて元気になるのではないかな。
 夕食中に、課長が見舞いに来た。 僕は歩いていこうとしたのだけど、 看護婦に「車椅子で行きましょう」と言われてしまった。 課長はいつもの様子で「よう、元気か?」 現在の状態を報告した。 治療中(29日まで)会社の人がバラバラ見舞いに来ないように頼んだ。 やはり、血液の組織を壊しているから、日に日に辛くなっていくのがわかる。
 38度5と云う高熱を上げた。 氷枕を頭、脇の下に入れ、熱冷ましの薬を投与して、下半身は湯たんぽで暖めた。

2000年10月26日
最悪  高熱の後遺症かな。 血圧も低く、体もだるく、調子が最悪。 それに熱も38度ぐらいのまま。
 前から、チョット痛かった首からのチューブを、 腫れているという理由で抜き取った。 血が出なかったが、20センチ以上もチューブがあってビックリ。
 母がいつも通りに見舞いに来た。 診断書をもらったので、それを会社に送ってもらう。 あと、着替えがないので急いで持ってきてもらうことにした。
 担当医から、弟の骨髄液と一致した。と連絡をもらった。 1/4の確率らしいのだが、もうチョット細かい所までもあっていたそうな。 似たもの兄弟?
 血小板の輸血をした。 でも、熱が上昇。 途中で、血小板の輸血は中断し、熱冷ましの薬を投与した。 そのあとに、赤血球の輸血を始めた。
 母、再来。 着替えなどを持ってきてくれたが、寝間着を忘れたらしい。 母らしい。
 元部署の上司が面会に来た。 『「大阪の親戚」と云う人から時間外なのですが、 見舞いの人が来ています。』 と言われ、誰?と思ったが、あ!あの人ならやりそう!! 元部署の上司から聞くと、面会時間が過ぎているから、 駄目元で大阪から来たんですが面会できませんかと頼んだのだそうだ。 すごい、自分にはできないなあ。 元部署の上司のお母さんも、同じMDSで亡くなったそうです。 葬式に出たからなんかの縁かな? 発見が遅く、発病しかかってから治療を始めたらしく、 やはり年齢で移植はできなかったので 科学治療のみの治療だったそうです。 施設もあまり良くなかったらしく、ここの設備に驚いていた。 やっぱり運が良いのかな。
 夜中、首のあたりがズキズキしてきたので眠れなくなり、 熱を計ったら、39度5もあった。 首のズキズキは熱があがったためらしく、 腫れを抑えるために氷枕を首にし、頭と脇の下、 下半身は湯たんぽで暖め、熱冷ましの薬を投与した。 汗をかくため、水をがばのみした。

2000年10月27日
辛い  高熱なのに、気分はさわやか。 元気ついでにメールのチェック。
 最後の種類の抗生物質フィルデシンを打ったが いつ打たれたか判らない。 後日聞いたら、注射でもよいレベルのため 点滴でも2,3分で終わってしまうのだと。
 どのくらい、骨髄にダメージを受けさせたかを 確認するために骨髄液をとった。 ああ、痛い。
 母がいつも通りに見舞いに来た。 寝間着を持ってきたので、久しぶりに着替えタイム。
 草野球の仲間が見舞いに来た。 会社が近くにあるとのことで、見舞いに来てくれました。 どうして、病院に入ることになったかを説明しました。

2000年10月28日
辛い  高熱のままだけど、食欲がある。 ついでに便意も。
 今日も、赤血球と白血球を輸血した。
 母がいつも通りに見舞いに来た。

2000年10月29日
辛い  高熱も下がり、一安心。 今日で1回目の治療も終わり。
 最後の治療、フィルデシンを投与。 ものの5分で終わった。
 母がいつも通りに見舞いに来た。 着替えをこれでもかと言うほど持ってきた。 1回目の治療が今日で終わったので これから数日はこんなに要らないと思うけど。