やすつんの闘病日記<11/30-12/16>


2000年11月30日
元気  今後の治療の説明を受けた。
 2回目の治療は、1回目より強い薬や量を多く使うので、 部屋も完全無菌室に移ることになるらしい。 移植は2月に行い、ドナーの弟には健康診断を12月と1月の2回 受けてもらい、骨髄の採取のために4日ぐらい入院してもらう こととなるらしい。
 僕は、1月末ごろは骨髄を殺すためX線を受けることとなり、 リスクとして死があることを宣告された。(かなり低い確率だけど) 移植から1ヶ月で、今の病棟に移れるレベルになり、5月頃に 病院を退院できる。しかし、リスクはあり、院内感染、ドナーの持病や 自分の持病に耐えきれない、拒絶反応など、これらにより退院は延びるとのこと。 退院からリハビリがあり、社会復帰は来年の冬か再来年の春かになるらしい。
 胸に針を入れるために、血小板の輸血をした。
 泌尿器科で股間の腫れ物を見てもらった。
 胸に針を入れようとしたが、今回もうまく入らない。 血液もかなり出ているらしく、息苦しくなる。 結局、首からに変更になった。

2000年12月4日
1元気 2元気 3元気 4元気
 火曜から移動する完全無菌室を見せてもらった。 室内が広い方で、部屋にトイレや洗面もあり 本当に部屋から出なくても困らないようになっている。 テレビがはめ込み式でビデオ端子がとれない。 さあ、困った。
 胸から点滴のチューブを入れるのが、失敗したため、 首から入れることとなった。 前回と同じように首からチューブを入れる作業はスムーズに終わった。

2000年12月5日
元気  今日から完全無菌室に移動しました。 部屋番号は、616号室。 荷物は昨日の内に紙袋にまとめたので後は運ぶだけ。 部屋は広くて個室だから、過ごしやすい。 テレビも見放題だし。でもBSが見られない。 部屋から出られないのも不便。 トイレもこの広い部屋にあるから便も出ない。
 赤の薬を入れた。 他の透明のものの入れた。 治療が開始された。

2000年12月11日
6元気 7元気 8元気 9元気 10元気 11元気
 治療の初めは辛くなく、完全に隔離されているので、退屈である。
 今日から、年賀状の宛先を書き始めた。 ア行の10人分を書いたんだけど随分を疲れた。 あと、50人分までがんばれるか!
 今日は、赤血球と血小板の輸血が午後からあった。 看護婦さんに体を拭いてもらう予定だったんだけど 輸血は横になってないとうまく流れないので、 結局半日もかかってしまい、体を拭いてもらえなかった。
 いつもの時間に母の見舞いがなかったので、今日は見舞いに来ないのかなと思った。 少し早く着いたから、外来の待合室で寝ていたそうです。

2000年12月13日
12辛い 13辛い
 最近、馬鹿になった感じだ。抗ガン剤の影響か?
 年賀状の宛名書きを、午後からカ行の8人分を書いた。 疲れた。
 夕方になって、熱が出た。 やばい、これでまた一時退院が延びてしまうのか!!
 次の日、朝からだるい。 体温は38度近くある。 何もする気力がない。 今日は大人しく寝ていよう。 便がどんどん水っぽくなってきた。
 午後から赤血球の輸血が始まった。

2000年12月14日
元気  熱が下がり、今日は気分がよい。 ヘモグロビンの量が少ないので、今日は血小板の他 赤血球も輸血することになった。
 母が見舞いに来てくれた。 輸血が来るまで話そうかなあと思っていたけど、 輸血がなかなか来なかった。
 16時に血小板と赤血球の輸血が来た。 それぞれ2時間かかるから終わりが8時になってしまう。
 深夜1時に胸が冷たくて、目が覚めた。 なぜだか、シャツが濡れていた。 仕方がないので着替えていたら、首から水が。。。 首のチューブが抜けていたため生理食塩水が漏れていた。 寝ている間に抜けてしまったらしい。
 とりあえず、点滴を左手首に変更した。

2000年12月16日
15元気 16辛い
 年賀状の宛名を書いただけで疲れた。 あと、手首に点滴しているので、手を動かすと痛い。 看護婦さんに頼んで、骨折の処置みたいに、包帯で手首を固定してもらうことにした。
 次の日は、熱が出て、しかも午後からは輸血でずっと寝ていた。