やすつんの闘病日記<3/29-4/4>


2001年3月29日
元気  放射線を浴びると気持ち悪くなるって言うので、 今日は無菌室に行く準備をした。
 無菌室に移る前日の午前中までに荷物を入れ、 部屋ごと消毒をかけるのだそうだ。 リストを元に無菌室に必要なものがあるか、 補充しなくてはいけないかを確認した。
 ちなみに、本日は父親の命日である。 生前、「健康診断の再検査は必ず受けろ。」と言っていた。 父は再検査を受けなかったため、肺ガンの発見が遅れたからである。 私は再検査を受けたため、発見がはやく最悪のパターンには至らなかった。 っと言っても難病ですけどね。

2001年3月30日 元気  今日は特に何も検査もない。
 世間では花見のシーズン到来らしい。
 こっちは、はるか彼方の神社の桜を見て、喜ぶしかない。

2001年3月31日
元気  入院してはじめて主治医が替わることとなった。
 6ヶ月の間ずっと同じ先生だったので、替わるとどうなるのだろうか? とりあえず、採血がうまい先生だったらいいなあ。

2001年4月1日
元気  とうとう、明日から本当の意味の移植プログラムが開始される。
 今日からジフルカンという薬を朝のみ飲むことになった。 明日は放射線を浴びることとなる。気持ち悪くならないように祈るだけ。。。

2001年4月2日 頭が痛い  今日から放射線全身照射が始まった。
 股を広げてがに股座りになり、 10分を2回、午前と午後で計40分間も照射した。 肺に放射線があたらないように、 肺の形をした鉛を前面の透明シートに貼りつけ、 明日からのために、肺の形を胸に書かれた。 時間が長いため好きなCDを流せるのだけど、 放射線を発生する装置が、キーンと甲高い音を出しているため、 とても聞き取りにくかった。 実際に照射しているときはどうってことはなかったのだけれども、 病室に戻ってきたら、頭がガンガンと痛くなってきた。 まるで、ビールとサワーと日本酒をチャンポンで飲んだ時の 二日酔いみたいだった。
また、耳の下あたりが腫れてきたが、 触らないと痛くないので鏡を見ないと分からなかった。 夜になると、頭痛から熱に替わりボーとしてきた。

2001年4月3日 頭が痛い  今日も放射線全身照射を行った。
 今日も10分を2回、午前と午後で計40分間も照射した。 昨日、胸に書かれた肺の形に合わせて、 肺の形をした鉛を前面の透明シートに貼りつけ、 また、あの甲高い音を聞きながら放射線を浴びた。 前日に理由を書かなかったのだけれども、 骨髄細胞を壊すために、全身の骨に放射線を放射している。 昨日ほどじゃないけど、やはり頭が痛い。熱は38℃ぐらいで下がらないし。

2001年4月4日 何となく元気  今日も放射線全身照射を行った。
 今日は、午前中だけ、10分を2回の、計20分間も照射した。 昨日からの頭痛は治まり、快適な気分で、放射線を浴びることができた。 吐き気が全然なかったので、結果オーライである。
 その後、気分が晴れていたので無菌室に荷物を入れ、整理をした。
 午後に、血小板の輸血をした。 どうしても、輸血をすると眠くなる。 今回もやっぱり、寝てしまった。 今晩の楽しみにしていた特番も、見る余裕もなく寝てしまった。